川口出身の方なら百も承知だと思いますが、初めての方むけに簡単に紹介させていただきます。
川口のあいうえお
あ・・・荒川をはじめとした水系、芝川、見沼代用水、緑川など川に恵まれている。しばしば洪水がおきた。東京都民を守るため、浮間の水門を止めてしまうからだ。最近では、治水技術も進歩し、土手を超えるような氾濫はめったにおきない。スーパー堤防なども造られ、水害に苦しんだ南中は、スーパー堤防の上に校舎がつくられた。
い・・・鋳物。荒川で取れる良質な砂が、鋳物の形として利用しやすい。室町時代からおこる。江戸時代の伊豆韮山の砲台、東京オリンピックの聖火台はじめ、神社に積まれる桶、車のエンジン、船をつなぐ地上用のつなぎどめなどに利用される。高度経済成長期にはあちこちに工場が見られ、川口駅におりると空気がほこりっぽかった。現在での、その数は激減し、中国など海外へ移転。敷地はマンションなどに代わる。キューポラとは鋳物に使われる独特の高炉のことで、屋根から煙突状に見える。映画「キューポラのある街」(1962年作)は17歳の吉永小百合が熱演。金山町や南中が舞台。ゆるキャラ「キュポラン」とはこのキューポラからデザインしたもの。
う・・・植木。安行の植木で有名。安行、戸塚、神根地区は、赤土(関東ローム)のため、植木の栽培に適している。台地部のため、稲作には適さず、江戸時代あたりから植木生産がさかんになった。川口の赤山城(神根中の学区)に住んでいた関東郡代、伊奈忠敬氏は、江戸の大火の時に江戸に木材を供出して感謝されたという。今でも、多くの植木、花卉販売店が多く、全国から客があつまる。
え・・・映像スキップシティーがあり、映像の技術を学ぶことができる。小中学校で、1回は映像教育を受けられる。テレビ局などからのオファーも多く、テレビ番組や広告でかなり川口が使われている。
お・・・日光御成道。日光はいわずとしれた徳川家代々の墓。その日光へ徳川は定期的に通った。その時に通ったのが「日光御成道」である。荒川を舟で渡ったところにあるのが「川口宿」。そして次の宿場が「鳩ヶ谷宿」。今もその面影を残している。8代将軍吉宗の時の行列は、先頭が朝8時に江戸城を出発したが、最後尾は夕方5時頃だったらしい。
@@さてここからは、資料にほとんど載っていないことである。西川口と今と昔を振り返ってみよう。







ここからは、学校付近のゆかりある場所や、美しい場所を紹介します。


















